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タイと日本を「日本語教育x農業」でつなぐ。日本語講師・柳原大作氏インタビュー(前編)

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バンコク中心地から車で1時間ほど北へ行くと、タイの名門国立大学・タマサート大学ランシットキャンパスが見えてくる。この近くに小さな日本語学校を経営する1人の日本人講師がいる。柳原大作氏はタイで日本語教育をし始めて13年にもなるベテラン講師。柳原氏の日本語学校・はなまる日本語学校に来る生徒のほとんどが農家出身。柳原氏は彼らが日本で農業実習を受けられるよう、支援をしている。

そんな柳原氏の日本語教育に対する信念、タイと日本の農業の現実、そしてタイと日本を農業でつなげるビジョンを伺った。

<柳原氏のプロフィール>
大学卒業後、オーストラリアにて日本語教師としてのキャリアをスタート。2003年よりタイ・バンコクに移り8年間日本語を教える。2012年に柳原氏の日本語学校・はなまる日本語学校を開校。現在、日系企業への出張授業と中学生、高校生、大学生、社会人まで幅広い層に日本語教育を行っている。生徒の多くが日本の外国人技能実習制度を利用し、日本へ渡り農業を学べるような教育を行っている。

なぜタイだったのか?

日本人が海外出て何か職に就こうとなった時に、簡単にできそうなのが教師。日本語教育っていうのは、日本語が話せるならできると自分も言われたんです。実は僕は大学で英語を専攻していて、オーストラリアで仕事が決まっていました。でもその話がなくなって、就職浪人になるところだったんです。相談した先が、英語を教えてくれていた大学の先生。それで同じこと言われたんですよね、「お前日本人だろ?それで英語も話せる。日本語もできる。だったらオーストラリア行って日本語教師やってこい」って言われました。それで日本語を教えることになったんです。

でもオーストラリアに行って”Te form”(日本語の文法のひとつ:食べ くださいの 「て」がなぜ「て」になるの?みたいな…)を教えろと初日に言われたんです。日本語の仕組みとか考えたこともなかったし、無理だと言ったら怒られてしまいました。そこから日本語が教えられない日本人ということで、日本語教師の人生がオーストラリアでスタートしちゃったもんだから、僕は外国人に日本語の教え方を教えて貰ったんですよね。それが日本語教師デビューですね。これじゃダメだと思って、日本に帰ってもう一度日本語教育を勉強し直して、次は英語圏よりかはアジアの方がいいかなと思い、自分が知らない言語文化で行ったことのない国で挑戦してやろうと思ったわけです。

居酒屋で酔っ払ったついでに後輩に世界地図を買って来させて、「ダーツの旅」みたいにやって決めたところがたまたまタイだったんですよ(笑)。その時はタイのタの字も知らないし、タイ料理でさえ食べたことがなかったんです。

異国の地で日本語教育をして気づいた日本人の「甘さ」

多くの海外で日本語を教える人の教師寿命が1年か2年。1年で辞めてしまう人は、外国でとりあえず思い出を作りたいって感じ。これは日本語教師としてはダメです。2年頑張った人もだいたい日本の安定した社会と比べてしまい、辞めて帰国してしまっている。教えることって簡単と思うかもしれないですけど、学問を教えるよりも学習者のモチベーションを上げさせたりするようなクラスコントロールが大切なんですよね。本気で外国で日本人が日本語を教えようってなったら、やっぱりその国を好きじゃないといけないんです。

タイも早いところでは小学校から日本語教育が選択科目であるんですけど、大学機関で教えている日本人でさえ1、2年で辞めていく。学生は3年間から6年間在学しているのに、彼らが卒業する前に先生が先に卒業してしまう。卒業まで面倒を見てあげればもっと高いレベルまで持っていける可能性があるのに、長く続けられる職になっていないんですよね。

やっぱり日本の社会が簡単に諦めちゃうようになってきちゃっている。この先どうなるのかわからないという中で、今の世代には皆ではないですが、もう少し真剣に仕事というものについて考えて欲しいですね。仕事っていうのは片手間ではなく職業なんです。天職だって思うような仕事を早く見つけて極められるように切磋琢磨してほしいですね。

海外の日本語教師の所得は現地の方と大体同じで、普通の日本の会社で働いている人と比べても2,3倍は違うんじゃないかな。タイの方がもらうようなお給料と変わらない。こっちで生活はできるんですけど、やっぱり日本人でしょ?だから日本戻って普通に会社員になりますとか、婚活しますということなってしまう。これが海外での日本語教師の実情なんですよね。

海外に目を向けて行ってみたいと思う。旅行だけなら自分のイメージどおりのままの国で済むんだけど、そのあと住んでみたいと思う。住むことで新しくわかってしまうことっていっぱいあるんです。嫌なこともたくさん出てくる。日本の生活と比べてみて、我慢できないことが多いと帰っちゃうんです。でも有得ないって思う反面、その中でそれでもいいかなって思える部分も出てくる。嫌いな部分も自分の力で好きなものに変えられるようになるためには、やっぱり長く住んでみないと見えてこないんです。

島根とのプロジェクトが今年からスタート

自分の学校で日本語を学んだ子供たちには、必ず日本に行って何かを掴んで帰ってきて欲しいということで2012年から自分の学校を運営してきました。

そこでじゃあどこへ行かせたかったかというと、生まれ故郷の山口県や広島県の中国地方だったのですが、その中でも特に父方の実家の島根県だったんです。オーストラリアでの日本語教師時代からずっと自分の教え子には生まれ故郷中国地方へ連れて行って、都会にはない昔ながらの日本を感じてほしかったんですが、都会になくて田舎にある魅力って何かというと、郷土文化や自然ぐらいしかない。その中で島根県にしかないものって自然や地域の魅力だと思うんです。田舎はいいよと言うけど、何ができるかというと、春の花見から冬のスキーまでの四季が楽しめて、おいしい物もたくさん食べられる。それって別に島根県じゃなくてもって思うかもしれないけど、やはり自分を育ててくれた愛着がある町という特別な想いと、日本1、2位を争う過疎化が進む中で一生懸命地域を活性化しようと頑張っていらっしゃる団体も年配ばかりの方の援護射撃を日本語を勉強している学生にさせたいと考えていました。

じゃあその活動に携わっている職人と何ができるかと考えているうちに農業に注目するようになったんです。

うちの学生っていうのはほとんどが実家が農家出身なんです。東京になくて島根にあるのってやっぱり農業。でも農業をやってるけど人手が足りない。今、農業をやっている高齢者がいなくなってしまったら、おいしい物が食べられなくなってしまう。じゃあどうしたらいいかというと、外国から人を送り出して、農家さんの手足となるような人材を作っていきましょうということが、タイでは実現可能です。なぜかというと、タイの人口の約40%がまだ農家だからです。現在は3年間の農業実習に関東地域の県へ送り出していて、島根県とのプロジェクトも地域交流を2012年から進め徐々に認知されるようになり、今年から実現することとなりました。

タイの生徒たちが日本で得られる5つのもの

1:日本語
彼らが日本での実習で得られるものは5つあります。まずは日本語。外国で暮らせばそこに住んでいる人たちの話していることがそれとなくわかるようになってきます。ただ彼らはそれとなくではダメで、実習に行ってるので、日本の農業っていうのがどんな専門用語を使い、日本人と仕事上で支障がないくらいのコミュニケーションができる日本語を身につけて帰ってきてほしいです。タイでは日本語が使えると日系企業も多くあるので、帰国後に日本語を使ったビジネスチャンスは増えてきます。

2:日本の技術
日本の農業は量より質ですが、タイの農業は質より量と大きく違い、そのため広大な土地で農業をしても、お金持ちになるチャンスはタイ国内だけでの農業では難しいです。日本の農地はタイの6分の1程度で、四季の影響で通年続けることは難しい農業がどのように年間運営されていくのかを覚えて帰ってくる必要があります。日本でのお金持ちになれる農業技術やノウハウをしっかり身につけて帰ってくれば、日本と同じとは言わないけども似たような農業が実現可能です。

3:日本人の心
その中で似たような農業ができても、タイは外観は発展しているように見えて、まだモラルやルールがしっかり構築されていないため、流通に精通した仲買業者に騙されたりすることもしばしばです。日本の都会に負けないくらい色々便利になってきてはいるけど、それに追いつけるだけの社会的なモラルがまだ足りない。彼らが日本で農業を学んできても、日本が作り上げてきた社会で生き残る厳しさを学んでこないと、彼らは将来的にその農業の経営者になった時に技術はあるけど人が管理できない、自分を管理でききないのに人を管理しようとするからビジネスを始めても失敗してしまいます。

4:軍資金
外国人技能実習制度を利用して日本の農家さんのところへ送り出しているんですが、ビザは研修ビザで、就労ビザではないんです。在留期限が3年と限られていて、一つの国で一生に一回しかそのビザが使えないんです。なのでそのビザで工場での単純労働のような実習をしている場合だと、日本へ行ったら韓国、韓国へ行ったらイスラエル、イスラエル行ったら台湾と、国に若い頃に点々と移り渡って行ってしまう。外国へ行った方がタイで仕事をするよりお金になりますからね。

だからお金目当てで行っちゃうと、若い子たちが帰ってこない。研修ビザっていうのはその国に行ってその国の技術を学んで、自分の村を豊かにするためのビザ。でもその研修がただ出稼ぎになっちゃっています。そうするとその村におじいさんおばあさんしかいなくなっちゃう。で、その人がいなくなっちゃうとその村はダメになってしまいます。

そうなる前に僕らが毎日お説教しているのは、「日本を最初で最後にしなさい」と。日本語と日本の技術、モラルそして軍資金を得てね。日本へ行くと、今まで見たことのない発展している町並みや流行最先端の物がたくさんあるから、給料をもらうとついつい買ってしまう。それで、帰国したときにはまたお金がない。行く前も貧乏、帰ってきてっからもまだ貧乏だから他の国へ行ってしまう。だったらそれはやめなさいと言っています。

日本には今の法律上3年しかいられない。その中で貯めたお金で農地を買いなさい。トラクター、野菜の種、肥料、牛を買いなさいと。そうして自分の農場を作つくっておけば、彼らは管理者になれる。まだ若い子は18歳、年配でも30歳。そういった若い子が3年後に経営者になれるんだったら、その3年間は大変だけど物欲は我慢しなさいと。これが4つ目。日本語、日本の技術、モラル、そしてお金ですね。大抵の人間ははお金が先。日本へ行けたらお金が欲しい。お金が稼げたら、いい物を買いたい、いろいろなところへ旅行したい、おいしいもの食べたい、最後は恋人が欲しい。これじゃダメです。お金っていうほしいものの最後にまわさなきゃいけないんです。

5:日本の人脈
日本語ができて、仕事がわかるようになって、日本の人が褒めているのか怒っているのかわかる。そうすると日本人に信用されるようになってくる。まるで本当に家族の一員のような付き合い方をしていただいている農家さんもいる。そうすると帰国のときには本当に涙ながらに別れを惜しむ農家さんもいる。3年間もいると自分の子供みたいに思えてきちゃう。なおかつ彼らはそこの農家さんの即戦力。仕事もバリバリやって日本語も上手になって、毎日お父さんお母さんって懐いてくれる子が明日からいなくなってしまうって時には自然と涙が出てしまいますよね。それでお願いするんです、どうやったらこの子たちと今後も一緒に仕事ができるの?って。でも法律上3年間って限られているから、それは不可能なんですよ。そしたら農家さんたちはどうするかっていうと、タイでも彼らと農業やってみたいって言い出すんですよ。これが5つ目に得て帰るもの、人脈です。

※後編はこちら

はなまる日本語学校URL:http://www.hanamaruschool.com/jp/

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