アグリゲート 左今克憲:『僕が農業で起業するまで』
経歴
1982年7月 福岡県福岡市生まれ
2001年3月 福岡県立新宮高校卒業
2003年4月 青山学院大学理工学部物理学科入学
2005年4月 東京農工大学農学部環境資源科学科編入学
2007年3月 東京農工大学農学部環境資源科学科卒業/株式会社インテリジェンス3月入社
2009年1月 同社退社
2009年2月 アグリゲート創業
2010年1月 株式会社アグリゲート設立、代表取締役就任
私は、福岡県福岡市東区に生まれました。
これから幼少期から青年期の事をつらつらと書きます。もちろん何となくではありません。笑
私が起業する事になった背景として影響を与えたのは、まさにこの頃でした。
「普通」という言葉を、同じような境遇の人の人口が多いという意味で使うとすると、
私の家庭は「普通」ではありませんでした。物心ついた時には、祖母と母と暮らしていて、月に1度くらいのペースで父が家に帰ってくる。そんな家庭で過ごした私は、父親像が周りの同級生らとは全く違ったものでした。
父は花の流通小売業を起こした起業家でした。戦争孤児で、一代で最盛期には売上高20~30億円まで伸ばしたと聞いています。そんな父が月に一度の帰宅をした際、簡単な会話にさえすごく緊張してしまっていたのを今でも覚えています。
中学時代、知的好奇心などはほとんどありませんでしたが、なんとなく塾には行かせてもらっていました。学校は学年が450人くらいの学校で、成績も10~50番くらいを行き来していたかと思います。
目指していた学区内1位の公立高校の偏差値には少し足らなかったため、
「2位群の公立高校なら安全そうだから」
という塾の先生の勧め通りに受験し、勧められた高校へ進学しました。
高校へ進学したものの、その先に何かやりたいことが明確にあるわけではありませんでした。「部活もやるけど、バイトもしたい。」そんな中途半端な考えで高校生活が始まりました。
当時、高校生アルバイトと言えばマクドナルド。私もマクドナルドならアルバイトが出来るかもしれないと考え、母に黙って応募、面接をし、採用通達まで受けました。その採用通達で書かれた必要書類のせいなのかおかげなのかで、今の私があるように思います。必要書類は、「住民票」。起業してからはやたらと使う機会が増えましたが、高校生でこれを見る機会はなかなか無いかもしれません。その住民票には父の名前がありませんでした。
小中高と読書の習慣が全く無かった私には、テレビや雑誌で見る大衆の当たり前が世の中のルールです。そんな私にとって、住民票に父の名前がなく、父には他の家庭があるらしいという事実を知ったとき、「生きていていいのか?」とシンプルに強く考えさせられました。
その後の高校時代に力を入れた事と言えば、ロックバンド、彼女と遊ぶ、学校行事で目立ってモテる、という事でしょうか。。。笑
それから、特段「生きる」目的のないまま時が過ぎていき2年間も浪人する事になってしまいました。
直観的に、変わるためには東京に行かなければ、という想いが強く東京の大学に進学しました。入学した大学は2年間も浪人していく大学ではなかったので、この遅れを取り戻すには何かしないと!と、入学直後は焦りだけが強かったです。
1年生の夏休みにインカレ系の政策立案コンテストに出場する機会があり、色んな大学の方々と会いました。そこで、初めて自分自身が何か目的を持って真剣に生きてこなかった事を目の当たりにしました。真剣な眼差しで、かつ、一定のロジックを持って、「総理大臣になりたい」とか「●●県知事になって、地元を変えたい」とかそういう話を初めて聞き、自分自身のちっぽけさを恥じました。そのコンテストを終え、兎に角自分を見つめなおしたくて、東京から福岡までのバイクの旅をすることになります。
その時に目に入り続けた映像がアグリゲート創業のキッカケです。
バイクで走った国道から見える田んぼや畑には兎に角若い方はいませんでした。
東京に上京して食べた青果や飲食店の食事のまずさとこの光景が何故かリンクし、危機を強く感じました。
“地方が衰退する事”と”都市の食が不本意な事“はつながっているのではないか、と。
この時、バランスを失った社会は崩壊するのではないかという気持ちになりました。
双方の課題を繋ぐ事で双方の課題が解決されるような取り組みが出来れば、それは私にとっての「生きる意味」かもしれないと、今後も生きる目的が出来ました。
大学1年のこの出来事の後、私は兎に角人と会い、情報を俯瞰して揃えていくことに努めました。そして、何をやるにも人が大事だという事に行きつき、総合人材サービスの株式会社インテリジェンスに入社し、1年11ケ月の勤務を経てアグリゲートを創業しました。
アグリゲートは現在の株式会社アグリゲートの前身です。
登記は当時の自宅でした。事業内容は、なし。まずはこの業界で腹をくくって起業する事が重要だと考え起業しました。26歳でした。
兎に角、大学時代のつながりを「食農分野の仕事なら何でもしますので、月20万円は固定でください。時間拘束ではないので他の仕事もします。」と言って回りました。
時給換算100円でもいいという想いでとにかく時間でアウトプットを担保するつもりでした。
それから約1年後の2010年1月に、マーケティングと営業代行業をメインのサービスとして株式会社化しました。大消費地である東京で生産者(法人)にとっての営業部となり、PDCAを回して創って作って売るサイクルを回すサービスです。
実は、2012年10月くらいまではほぼ1人会社のような形でノウハウを貯めながら少しずつ売上拡大機会を狙っていました。周りの方からは燻っている期間と言われたりもしますが、まさにそうだったと思います。当時、飲食店でのアルバイトや通信販売のアルバイトなど、食農につながっているものは積極的に行い、業界を俯瞰して眺められるように身を投じました。
2013年10月に旬八青果店1号店をオープンし3年半経とうとしていますが、2017年3月現在で旬八青果店(小売)9店舗と旬八キッチン(飲食)1店舗、別ブランドで蕎麦店、卸事業、旬八オンライン(通販)、旬八農場(生産)、旬八大学(教育・紹介)、旬八研究所(地域活性事業)を運営しています。
2009年2月~2013年10月までの起業と2013年10月~の起業は全く性質が異なるものだと考えています。スモールビジネスとスタートアップという言い方が最適かと思います。2013年10月以降は本当に大海原の荒波の中にいました。この3年半順調に拡大出来たわけではなく、レガシー領域の洗礼は受け続けたと思っています。今振り返ると参入障壁ですが、キャズムがいくつかありましたし、現在もまたキャズムの前にいると思っています。
今後は、当社が掲げているSPFというビジネスモデルの本当の意味での構築、また、それをICTで効率化し、食農の業界で収益性の高い事業展開を次々と行っていきたいと考えています。また、日本で確立した都市型業態やドミナント展開のノウハウを東南アジア中心とした海外で展開して行きたいとも考えています。
株式会社アグリゲート http://agrigate.co.jp